ぎふにっき。
ただただ岐阜公演の1日を振り返るおもんないブログだよ(自らハードルを下げる)
前日の夜のバイトをはや上がりさせていただいたのにも関わらず2時就寝(アルェー
からの4時50分起き…起きられて良かった( ^ω^)
先日のブログのとおり在来線を乗り継いで岐阜駅へ
とりあえずスタバのいちごが飲みたくてスタバへ
座って手紙書くか~と思ったら奏多からLINE電話で迎えに行くから外でろ~と言われスタバ離脱(;△;)
そこからなんやかんやで会場付近まで奏多's carで移動したら道にあおいパパが!
私奏多まつけ「パパァァァアアアアアアアアアアアアアアア(絶叫)」
そこで奏多に降ろしてもらい会場へ
とりあえずくじ列並んで~まぁ余裕で1部チェキ券買えるっしょ!!と思って余裕こいて後ろの方に並んでた私。
わたし「のっくん2枚げるたん1枚ください!」
きさりん「富山の人の枠ね~のっくんもげるたんも埋まっちゃったの~」
「(((゜Д゜;)))」
きさりん「岐阜の人の枠はたぶん余裕あるから1部終わってから並んだら買えると思うんだけどね~」
「(´;д;`)」
きさりん「ごめんね~~~」
「。゚(゚´Д`゚)゚。」
きさりん「くじひく?」
わたし「6回ひく」
6限だったのでね。
「白白赤桃赤青・・・」
・・・青。
・・・・青。
・・・・・・青!?!?!?!?
時が止まったよ。
きさりん「のっくんのとこ行く?」
わたし「行く~~~( ;∀;)!!!!」
ここで2部ののっくん推しチェキゲット( ;∀;)
人生初の推しチェキ( ;∀;)
うれしい( ;∀;)
そんな私は青以外のくじ玉と推しチェキ券を握り締めて知り合いを探して見つけて「推”し”チ”ェ”キ”当”た”っ”た”の”~~~~( ;∀;)」って震えながら言う厄介になってました。
知り合いに手が震えてるって言われてましたまじで。
引換にて
わたし「推しチェキ当たったの;;;;;」
りくとさん「え~おめでとう~!!!」
わたし「初めてあたった~~~;;;;」
とりあえずランダムチェキ欲しさにもう1周。
目の前でぽんぽん出て行く推しチェキ。
残りのメンバーはぷんちゃんとにーちゃん。
きさりん「何回~?」
わたし「とりあえず6回おねがいします~」
白白赤黄赤青…
嘘だろ・・・
きさりん「どうする?」
わたし「…にーちゃんで」
ここでにーちゃ1部推しチェキゲット・・・
ここはもうなんか今日わたし死ぬんじゃねぇかって思ってました。
いろんな人に帰り道気をつけてねって言われましたわかる。
さすがに怖すぎて「推しチェキ2つ当たった~~~~
✌(´>ਊ ՞ )✌(´>ਊ ՞ )✌(´>ਊ ՞ )✌(´>ਊ ՞ )✌(´>ਊ ՞ )✌」とかTwitterで言えませんでした(チキン)
わたし「また推しチェキあたった…」
りくとさん「え?まじで??」
わたし「もうわたしここで運使い果たしたと思うの・・・」
りくとさん「(苦笑)」
1部は180番台で入りまして、場所的には一番下のフロアの逆最前の上手埋もれ。単番茶推しさん達に混ぜてもらい一緒に見てました~。
ここでね、まさかね、推しのふるさとがくるなんて思わないじゃないですか、、、、
泣いた。全俺が泣いた。
馬鹿な娘(過去記事参照)でごめんね~~~~;;;;;;
治療から逃げてた私が推しに治療する宣言するまでの話。 - 君専属王子様のファンって姫でいいですかね?
もう推しががんばって歌ってるっていうだけで尊いので。クオリティはほかの人に比べたら劣ってるかもしれないけど、わたし的には推しのうたがいちばんだから…推しのお歌だいすきマンだから…もっと歌って…またカナシミブルー歌って・・・
接触内容に関しては別で書こう。ブログがおわらない。
ブログ書いてる途中に心が折れた!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
1部終わって~お見送りされて~チェキ券販売列並んで~なんとかチェキ券二人共ゲット!!!よかった!!!!
一部終わりのあの一瞬のお見送りで
推し「体調大丈夫!?」
わたし「大丈夫!!!!!!!!」
安定でした。
ツーショ撮り終わって推しチェキってどうしたらいいのかな~って外で聞いたら「にーちゃんの推しチェキもう呼ばれてたよ~」
焦って会場内に戻る、スタッフさんにすみませんにーちゃんの推しチェキって・・・と尋ねる(既ににーちゃんは楽屋に戻ってたらしい)
にーちゃんは大天使でした(接触についてはここでは触れない)
二部までの間に一人でコンビニ行ったりモスに行ったり、どうせ押すやろ~って調子こいてたらOPA始まってて泣いた。全俺が泣いた。
久しぶりの逆最前ぼっちではしゃぎちらかす私。
アンラキではしゃぎすぎて酸欠でフラフラになる私。
アンコール中に崩れ落ちて死んでました(白目)
やっぱり逆最前で後ろを気にせず推しジャンするのはたのしいなぁ;;;;
秋冬ツアーやその後の夏ツアーでは結構こういう楽しみ方をしてたので懐かしくなりました。
岐阜公演は段が多く後ろでも見やすい箱だったので最高でした~!!!!
もっとこういう箱でライブやってほしいな~後ろでも前でも楽しめる箱!
昔あったニコラビ2のリキッドルーム?もこんな感じで段が多くて見やすかった!!
さて2部も終わりお見送りにkyoraママと並んで行ったのですが
推し「きょーら!!!!!!」
「気をつけて帰ってな!!!!!!」
もはや旦那か
2部後のチェキ会は緑のところへ。
『彼氏じゃないから浮気じゃない』
緑からDDでもいいじゃんね~といわれましたが否定しておきましたわたしはDDではない。
そして推しチェキへ。
これはまた後日?
おたのしみに????(誰も待ってない)
さてさて時間も遅くなってしまったので急いで会場を離脱しkyoraママに実家まで送ってもらいました感謝感激雨霰。
二人とも5時起き。
睡魔という敵と闘うことがこんなにつらいなんて・・・
たくさんいろんな話をして睡魔と闘ってたのですが訪れる沈黙。
kyora「死にたくないからしゃべって!!!!!!!!!!!!!」
ここまで緊迫した状態もなかなかねぇなと思いつつも片側通行の暗い高速道路は本当にしんどかったです睡魔的にも精神的にも。
なんとか生き延びて家にお互い帰宅できて本当によかった・・・
はやく免許とろうな私。
そんな岐阜の一日でした(オチなし)
まったねーーーーーーーーーーー!!!!!!!!(投げやり)
249の距離。
駅でうどんがたべたかった。(朝のツイート参照)
内容のない暇つぶし日記。
朝出て時間に間に合うならば新幹線や特急ではなく在来線乗り継ぎで会場に向かうオタクあやのです。
名古屋は3時間半くらいかかりますが許容範囲ですね()
さてさて岐阜。
私は心と住民票が富山にあるので割と親近感がわく岐阜。
昔よく高山や下呂のあたりに旅行に行きました~!飛騨牛の牛串やみたらし団子を食べることくらいしか幼い私には楽しみがない旅行でしたが今行くと色々ありそうなので普通に旅行したさありますね(:3_ヽ)_
京都公演の翌週に入院してその翌週イマココ
推しに次は岐阜ー!!!!!!!!って言ったら「すぐやん(苦笑)」という対応されたのですが緑は「待ってるー!!!!!!!!」という嬉しい反応くれたのでやっぱりこれは浮気するしか?←
緑の優しさに支えられてますけどちゃんと紫が1番ですからみなさん安心してください。
今日も紫と黒に身を染めて京都から向かってますから安心してください。
『彼氏じゃないから浮気じゃない』
『推し変はしないけど推し増しはする』
フォロワーさんの名言拝借。
チェキポーズが決まってないのですがパジャマってどうしろと……( ^ω^)
だれか案くださーーーーーーーーい(切実)
看病ネタはちらほらきくんですけど接触が苦手なもので(どこまでも救いようのない喪女)
2年も接客業続いてるなんて嘘だ。
今日のわたしの目標
静かなオタクになる(声を枯らさない)
ちゃんと好きだよって伝える
しょーもない会話で終わらせない
他人に迷惑をかけない(一番大事)
どれだけ達成できるかな?
そろそろ岐阜だーーーーーーーー・*・:≡( ε:)
(最寄り駅から岐阜駅まで本日2時間49分でした)
治療から逃げてた私が推しに治療する宣言するまでの話。
入院中って暇なんですよ、御見舞に来てくれる家族も彼氏も友達がいないので #泣いてない
さて、治療すると決断するまでの話。
そもそも私の持病は昨年?指定難病に登録されました。私は症状がギリギリ範囲外だったので医療費申請が通りませんでしたけど…
ちなみに原因不明、完治もしません。ただ、定期的に検査をして悪化しないように体調管理を努力する感じなんです。
定期検査に行って、今回も変わりないですね~はい次は〇日に来てくだい~お大事に~
がデフォルトでした。
それが変わってしまったのがあの11/5の入院。
急性腎不全になっちゃってたんですねーーーーーーーー(笑えない)
なんとか数値は戻したものの、いつまた体調崩して同じような状態に陥るかわからないという事と、腎臓の組織をもう1度検査してみないと血液検査だけでは不十分という事で早めに検査したいと言われました。
そこからの私は…わかりますね
ワイ「12/9には名古屋に行かないといけないんです」
医者「ライブね」
ワイ「はい( ˙-˙ )」
医者「仕方ないなぁ…」
地域医療を担っている小さな病院でしたので即ドルヲタ認知。今でも行くと言われます。
なんとか日程調整をしていただき、腎生検という腎臓の組織を針で取る検索の為に2013/11/25から1週間大きな病院に入院する事になりました。誕生日に入院しました←
2013年11月は月の半分を病院で過ごすことになります。医療費えげつなくて親にはとてつもなく申し訳ないことをしたと思って今となっては反省しか…
その時はまだ推しがリプ返しをほぼ行っていたので逐一報告をしていました。あの日心配をかけてからというもの伝えないといけないような謎の義務感がありました。ただのファンなのに。
1週間の入院中辛いこともたくさんありました。何よりも痛い。絶対安静で動けない。安静がとけても体力は落ちているし痛みが治まったわけじゃない。
でもあの日推しからリプ返しがありました。
耐えたよ私!!!!!!!!!!!!
退院してから1週間自宅安静。それがとけた金曜日の夜、私は新幹線で名古屋入り。今考えると医者もビックリな強行スケジュール。
でもこれは福岡公演からずっと待ち望んでいた公演だったから。行くしかなかった(馬鹿)
あの日の1部アンコール。
あの曲の初披露だったんです。
「たじたじ*ファンタジー~君のアイドルになりたくて~」
推しセンター曲。
強行スケジュールで来てよかった…
ここから地味に間があいて2月。むすめん。の予定がまだ詰まってなかった頃。あれよあれよと医者に流され扁桃腺摘出手術を受けました。バレンタイデーに入院したのは辛かった。これもめちゃくちゃ痛かったー。゚(゚^ω^゚)゚。
しかもちょうどこの日はむすめん。がイベント出演の日でした。私の魂は東京にいた(確信)
この言葉にこれから私は幾度も救われることになります。
《それで元気になったらほんまいいじゃないですか》
私はこの病気が中2の時に見つかってから「治らない」「治療しても意味がない」そう考えてきました。
もちろん扁桃腺摘出+ステロイドパルス療法についても調べていました。
でも良くなる確信はない。
そんな治療にお金と時間をかけて、さらに副作用まで酷いと知って、子供の私は逃げました。
それが2014年5月。
京都にきてから初めて定期検査をすっぽかしました。
医者からステロイドパルスいつするか決めてきてねと言われました。
私は決められなかったのです。
心のどこかで
〝ほっておいたらいつか良くなるんじゃないか〟
〝病気なんて悪い夢を見てるんじゃないか〟
そう思わずにはいられなかった、受容が出来ていなかったのです。
そこから更に1年以上の時を経て2015年6月。
沖縄ふぁんみ。
私は悩んでいました。
あの福岡の悪夢以来の九州。
また体調を崩すんじゃないか…迷惑を、心配をかけてしまうんじゃないか…
実際沖縄直前に風邪気味だった私はそんな恐怖に襲われました。
福岡公演後に行った病院へ予約無しに駆け込みました。
私「明日から沖縄なんです」
医者「馬鹿なの?」
私「行くしかないんです、検査して薬ください」
医者「最後に(大きい)病院行ったのは?」
私「去年の5月にすっぽかしました」
医者「仕方ないから見てあげるけど本当はそっち行かないとダメなんだからね」
優しかった。゚(゚^ω^゚)゚。
無事沖縄へ行くことができ、なんとか乗り越えたふぁんみでした。
ここで病院へ行った時にしつこく大きい病院へ行け!!と言われたもののそこから先のハードルは高かった。なにせ電車で1時間以上かかる場所。ひきこもり体質の私は自然と足が遠のいた。
さて、とてつもなく長い前置きでしたね。
私が治療を決めたのは2015/08/16
あの推しのラストMCを聞いてそれを受け入れることができたあたりでした。
「いつ辞めるか悩んでいた」
「辞められへんな~」
私は衝撃を受けました。
彼が心の支えだったから。
彼がいなくなる未来なんて考えていなかったから。
あの日私は〝裏切られた〟と思った。
しばらく引きずりました。
私があれほど頼っていた存在がいつ自分の目の前から居なくなってもおかしくなかったなんて信じたくなかった。
だから私が何度も辛いと弱音を吐いても「現場に来て」と言っていたのか。
《いつ自分が居なくなっても後悔しないように》
そう捉えてしまったのです。
それからおよそ2ヶ月悩みました。
その周辺期間に浮気しました、緑に。
過去に緑から言われて救われた一言があります。
それは8/2CCチェキ会でのこと。
「現場に来るのが辛かったら来なくてもいい、それでもまた来たくなったら待ってるから」
心が軽くなったんです。辛くても現場に行かなくてはならない、楽しまければならない。
もちろんライブ中はいつも楽しかった。でもその前後が辛かった。
ぼかした表現になりますが人間不信こじらせてました。
そんなときに緑は「あやのさんはそんな人じゃない」と認めてくれたのです。
浮気加速しちゃうよね←
そこから推しとの関係性について考えました。
推しがむすめん。を続けるという選択をしたことについて。
彼は現在唯一むすめん。で仕事を続投しています。
あの頃はまだ想像でしか無かった未来が今はあるのです。
どれだけの苦労が私の推しには積み重なっているのか。
私には理解できません。
それでもむすめん。を続けてくれた。
私の心の支えで居続けてくれた。
これがどれだけ有難いことか、と気付かされたのです。
私もむすめん。をいつまでも元気で応援し続けたいな~
寛解の可能性がわずかでもあるなら治療してみよっかなぁ~
現場を少しお休みすることになっても今なら大丈夫かな~
そんな感情が芽生えました。
病気受容が完璧に出来たわけではないけれど
推しが頑張るのなら私も頑張るしかないよね!←
勇気を出して約2年ぶりに大きな病院に行ったら前の担当医はいなくなってた。
だよね、でもむすめん。ちゃんはまだ居るんだよね。ありがとう。
そこからすぐに決まった入院日程。
2016年1月からステロイド治療を始めることにしました。
その決意表明をした2015/11/21
中野公演のDVDリリイベサイン会でのこと。
私は入院書類一式持って推しのブースに行きました。
私「治療しようと思って」
推し「待っていますぐ書くから待って」
この時ほど推しの手の遅さにイライラしたことは無いでしょう。
私「のっくんがむすめん。続けてくれるから、ちょっと元気にむすめん。追いかけ続けたいな~って。長生きしようかな~って」
推し「それは生きなあかんで」
サラッと私は決意表明したのに流されました。
でも生きなあかんでと言われたので許すことにしました。
でもやっぱり推しのこういうところは嫌いです。←
だから緑に浮気するんだぞ!←
年末にあった大阪チェキ会。
私は緑に会うためだけに行きました。
私「年始から入院して~退院したつぎの日に名古屋チェキ会行きますね~」
緑「そんな上手い話あると思ってんの?舐めてんの????」
怒られました。
やっぱりいつも私が無茶しても甘やかしてくれるパパがスキーーーーーーーーーーーー。゚(゚^ω^゚)゚。
そんなオチ。
駄文長文お粗末さまでした…
推しメンに会う度に健康観察される話。
どうも2016年に入ってから3度目の入院中のあやのです。
さっくり説明致しますとIgA腎症という病気のステロイドパルスという治療目的で入院中なので体調は?\大丈夫でーーーーす/
さてさて本題に。
推しに健康観察される とは
チェキ会にいく
↓
ブースに入る
↓
座る
↓
推し「体調大丈夫?」←これのことを指す
さてこうなったきっかけは遡ること2013/11/03 むすめん。秋冬ツアー福岡
私は前日からすこーーーし体調が悪いなぁと感じておりました。まぁ薬飲んだらいけるっしょ!という考えで、当時あまり体調を崩すことがなかった私は夜行バスで友人達と福岡へ向かいました。
これが悲劇のハジマリ
夜行バスがむちゃくちゃ暑い!!!!!!
熱があるのか?バスが暑すぎるのか?もうわけわからないくらい暑かった寝れるかボケェ!!!!!!ってなってましたほんとに。
そんな私は勿論サービスエリアで降りますよ11月の夜は涼しいもの。
まぁすることも無いしお手洗いに…
…なんじゃこりゃア゙ア゙ア゙ア゙ア゙
汚い話なのですが私の持病の症状として「血尿」があるんですね、それが風邪やインフルエンザなどの感染症での高熱やノロなどの胃腸炎でとてつもなく酷くなるんですね。
お察しください。目が覚めました。
ここでわたしは「ヤバイ」と悟ったのです(あの日打ち明けなかった友人達ごめんなさいここで気付いてました)
まぁ、福岡に行かないという選択肢は無かったのかと多くの人に言われましたが、無かったです。
なぜなら《人生初の整理番号1桁だったから》
あ、石投げないで痛い痛いその眼差しも痛いごめんなさいもうたくさんの人に怒られたからヤメテ
そんなこんなで福岡に着く
雨☔…傘持ってないよ~
予約していたホテルにチェックインを済ませ荷物を預けフロントにて
私「あの…解熱剤とかありますか」
「ありますよ」
神かよ…と思った この時は
その時の症状としては頭痛吐き気倦怠感だった記憶があるので勿論胃に何も入れていなかった。
その時に飲んだ薬がバファリン。
お察しください。
腹痛に襲われる私。半分は優しさじゃねぇのかよーーーーーーーー。゚(゚^ω^゚)゚。
症状に腹痛が加わりました。
朝から完全に野垂れ死にかけている私はなんとか物販も済ませライブに入るも最前で柵によしかかるしかありませんでした。
まぁ、バレるよね←
気力でライブを乗り越えた私。
夕飯はなんとか食べたかったとんこつラーメンを少し食べましたこの時は美味しく食べられた気がする。
ホテルに帰る、吐く。
ごめんなさい美味しかったの食べたかったのほんと神さまごめんなさい。゚(゚^ω^゚)゚。
同室でホテルとってた子には本当にごめんなさいしかないおねダリレベルで謝るから。
寝る→気持ち悪くて起きる→吐く→落ち着いて寝る→気持ちry
ってやってたら朝でした(›´ω`‹ )
この日はフォロワーさんたちの動画撮影のお手伝い。せっかく福岡にきたんだからコラボ撮りたいよねってやつ!
私は1日死んでました。トイレとお友達でした。
本当は夜行バスで帰る予定も全員から「お金出すから新幹線で帰って」と言われ、今ほど金欠じゃなかったためATMへかけこみお金をおろし自費で新幹線に乗りフラフラになりながらもなんとか最寄り駅まで。
流石に1人で歩いて帰るのは怖かったので初めて最寄り駅からタクシーに乗りました。
およそ徒歩8分の道のりです。ブルジョワか
死んだように寝る私
翌日病院へ行こうにもかかりつけ病院までは電車で乗り換えないといけない…ムリだ。
そんな時に福岡から帰った足で私の家まで飛んできた友人が神に見えた。
タクシーを呼んでくれてなんとか病院へ
私は「薬貰ってなんなら点滴してもらって帰ろーーーーーーーー」程度にしか思ってなかった
医者「腎臓の数値が悪過ぎる…ご飯も食べれてないし脱水も出てる…このままじゃ帰せないね」
ワイ「?!?!」
医者「入院してもらいます」
ワイ「…どのくらいの期間ですか」
バカだと思いますよね。
このおよそ1ヶ月後には名古屋公演が決まってたんです。
福岡公演帰りの私はそのことしか頭にありませんでした。真紫のネイルのままだったし←
医者「まぁ10日くらいかな?そんなに長くないよ」
ワイ「わかりました」
そんなこんなでライブから帰った翌日に強制入院させられた私。
ここから健康観察人生が始まった。
next?→入院させられて根本治療に乗り切るまでの話。
消灯から1時間もかけてしまった………
接触について心理学の観点から少し考えてみた。
ついったでフォロワーさんのツイートでこんなレジュメを作っていた(2015/11/09)のを思い出してとりあえずコピペしておくことした。それだけ。
とてつもなく稚拙だし突っ込みどころがたくさんあるのでマジレスはマジ勘弁><。
近代のアイドルオタクと自己実現理論
表題にはわかりやすくするためアイドルオタクと書いたが、ここではアイドルオタクの中でもいわゆる接触厨や認知厨といったアイドル側から何かしらの個人的なレスポンスがあり、それを自覚、無自覚関係なく求めているファンについて述べていきたいと思う。
「接触厨」とはアイドルや芸能人などと接触することだけど目的とする人物のことである。
握手会で握手をすることや、ツーショットでの撮影会で肩を組むなどアイドルと肉体的な接触をすることに積極的な人物。 相手に自分の存在を認知してもらうことに必至になる認知厨と同様にアイドルファンの中ではこのような人物を好まない者もいる。(ネット用語辞典ネット王子より引用)
これは応援するアイドルの規模にもよるが、容易なことではない。
℃-ute(ハロープロジェクト) 28thシングル発売イベントの個別チェキ会に参加するにはこのシングルのスペシャルセット9072円を特別サイトから購入し、さらに抽選で当選しなければ参加することはできない。これに対し近年増えている地下アイドル、ロコドル(地方アイドル)、ライブアイドルなどはイベントの度に本人物販がライブ終了後などにありツーショットチェキが1000円で取れたり時間制限がなければ好きなだけメンバーと物販でしゃべることができたりする。
ファンになりたてのころや現場へ足を運び始めて間もないころは1度話せれば、1枚チェキが取れれば良いなどと考えていても応援する年月や熱量が大きくなるともっと多く、長い時間話したい、もっとたくさんチェキを撮りたいなどとアイドルとの接触欲求が強くなっていっているように感じる。
私はこの接触厨はどうしてここまで接触に執着するのか疑問に思うとともにアイドル側から認知される、レスをもらうということは承認欲求から生まれる行動なのではないかと考えた。マズローの欲求段階説で述べられている社会的欲求/所属と愛の欲求がアイドル現場における認知をもらう、自分はこのアイドルグループやメンバーを推しているファンであるという所属を認められるということを意味しているのではないか。そして認知されると次の段階の承認(尊重)の欲求により自分はこのアイドルには必要な価値のある存在だと認められ自分の意思を尊重されることを求めるようになるのではないかと考えた。そしてその欲求すらも満足したファンは自己実現の欲求によりアイドル側にもっとこうしてほしいという新たな不満が生じるようになる。だから接触厨は段階ごとにアイドルへ落とす金額が変わり、段階を踏みながら接触回数を増やしていくのではないかと考えた。
そしてどの段階であろうと自分の思うようにいかないこと(欲求が妨害されること)あれば劣等感や無力感、孤独感などの感情が生じアイドルイベントへのモチベーションが下がりそれが進むと対象のアイドルを応援することをやめるということになるのではないかと思う。
これらのことから接触厨が接触の固執するのは決しておかしなことではなく人間としての欲求の上に成り立っていることがわかった。このことから私は広くアイドルファンの接触厨の方にアンケートをとり欲求段階と接触回数や金額についても調べてみたいと思った。
参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96
℃-ute 28thシングル 『ありがとう〜無限のエール〜/嵐を起こすんだ Exciting Fight!』 発売記念 個別チェキ会 追加受付決定のお知らせ
http://www.helloproject.com/c-ute/event/detail/de1b16295b95c7e910eccfa039c2d685265071c7/
接触厨とは
http://netyougo.com/idl/12653.html
そのおよそ一ヵ月後に書いたやーつ↓
近年、アイドルが行うイベントは多種多様な物になっている。最も一番多いのはパフォーマンスを行うライブやコンサートだが、そのほかにもCDやDVD、写真集といった媒体の発売イベント(所謂リリースイベント、リリイベ)が多くなってきているように思う。前回の発表で例をあげたCDの発売イベントのようなものを指す。
発売イベントにはもちろんコンサートやトークライブもあるが多くのファンが発売イベントに求めるものはチェキ会や写メ会、サイン会というアイドルと直接会える、アイドルオタク用語でいうと「接触」を求めているように感じた。そこでわたしはふと思い立ち、私のTwitterアカウントを使い、投票という機能を用いて次のようなアンケートを取った。
推し(アイドル)のイベントの中で接触イベが (投票数160)
好き 49%
どちらかといえば好き 35%
どちらかといえば嫌い 13%
嫌い 3%
接触厨という言葉に対してのイメージが (投票数95)
良い 4%
どちらかといえば良い 5%
どちらかといえば悪い 48%
悪い 43%
でも自分は (投票数90)
接触厨だ 20%
どちらかといえば接触厨だ 26%
どちらかといえば接触厨ではない 27%
接触厨ではない 27%
この投票結果から接触イベントに好意を持っている人が84%もいる中で接触厨という言葉のイメージが悪いことによって自分は接触厨ではないと答えている人が半分もいるのではないかと推測した。その他にも接触イベントは好きだが接触厨ではないという考え方の人もいるように感じ、言葉の定義の曖昧さも関係しているように感じた。次回このようなアンケートを取ることがあればもう少し定義を明確にしようと思った。
to be continue???
実家に帰ってましたっていう日記。
富山京都間って結構時間かかるんですよ~。だいたい3時間。暇つぶしです。読まなくて大丈夫です。
帰ってた理由は就活。
推し始めた頃高校生だった私がもう大学4年生です。推しから年齢をきかれて21ですって答えたら「もうそんな歳か~(しみじみ)」とされるレベルです。
水曜日に学校終わってから電車に飛び乗りおよそ3時間かけて富山駅へ。
リアルママーから仕事で遅くなると言われたのできょーらママーに連絡し久しぶりに富山でデートしました。羨ましいだろ!!!←
免許のない私のためにいつも車を出してくださって本当に感謝してます車がないと生きていけない町トヤマー…
2人で星野珈琲へ。
ひたすら推しに対する愚痴愚痴。というわけでもなく、ちょうどブログを投稿したばっかりだったのでむすめん。の物語って凄いよな~ってなってましたちょろい。
実はkyoraさんと繋がったのはそんなに昔な訳ではなくて
秋冬大阪のだいーーーぶ後にTwitterでお見かけして「あの時のジャスミンって富山の人なんだ!!!!!!」って即フォローかましました。
私は京都在住なのですが心と住民票は富山にあるので富山県と聞くとすぐ飛びつく節が…
その後にチケット譲渡したりなんやかんや仲良くなり、たまたま帰省のタイミングでご飯に行ったりして…その時に発覚した世間の狭さ。
私の人生を変えた富山こすぷれ☆フェスタで会ってたんです。(お互い忘れてました)
それもちゃんと会話してたんですあの日。
男子校2年5組のコスプレ(と言っていいのか悩む)をしていた私たちに「写真いいですか?」と声をかけてくださったのがkyoraさんとの本当の出会いでした。
偶然って怖いですね~()
そんなkyoraさんがいる富山に来年度から住まいを戻すんですが
私「大学卒業したら富山帰ります」
推「富山なんもないやんwwwwww」
私「kyoraさんがいる!!!!!!」
推「そっか!!!!!!安心したわ!!!!!!」
なにが?←
うちの推しはkyoraさんの事を鹿児島ふぁんみ以来きょーらちゃん♡と呼ぶのでkyoraさんは「私の事をなんやと思ってるんや!」とお怒り気味です。
私にとってお2人はパパとママなので仲良くしてください。←
この話にオチもクソも無いのですが岐阜ではママーと連番なので岐阜公演の後のチェキ会で絶対推しからきょーらちゃんというワードが出てくるに6429487㌷。
まぁ、2部後のチェキ券1枚も取れなかったんですけどね(真顔)
心と住民票(ここ重要)は富山にあるので1部後のチェキ会に行ってきまーーーす!!!!!!岐阜楽しみだなぁ!!!!!!!!!!!!
あ、富山県でとみたんといえば富山短期大学かコレっていう豆知識(いらない)
まったねーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!ちなみにこれCパターンね(詳しくしらない)
(各推し沼考察はパソコンから更新出来るときに書きます~)
むすめん。という物語。
初めてiPhoneから更新するから文字サイズのいじり方がわかりません助けて。
私がむすめん。を3年間も飽きずに追いかけ続けられるのはむすめん。という物語のシナリオが出来すぎているからだと思うんです。という自己分析から始まったエントリーです。
まずむすめん。の結成。【起】
これは様々なところで取り上げられている金曜ニコラジのアレ。「ずぅえええええええったい踊る」という名言のアレ。
説明は割愛。
初単独~秋冬ツアー【承】
むすめん。としての形が徐々に出来ていった頃。
元からいた踊ってみたのファンの人が多かったイメージ。ただライブが楽しいから行くーっていう単純な理由で現場に行っていた頃。今のような商業感は低く、本当に趣味でやってるって感じ。月に1回の公演だったしね。
むすめん。にとってこれがなかったら今はない
秋冬ツアー東京SP【転】
にーちゃんの卒業はそれはそれは衝撃的だった。
この頃私はまだむすめん。に中野サンプラザなんて無理だと思っていた。
だからこのまま9人で行くんだろうなって思ってたところは少なからずあった。
でもここからのむすめん。にとってにーちゃんの卒業はターニングポイントだったと思う。
もしここでにーちゃんがフリーターになっていたらむすめん。はここまで必死に走ってくれただろうか?ファンを増やす努力をここまでやっただろうか?
確実ににーちゃんがむすめん。の鍵を握った瞬間だった。
そこからのむすめん。は凄かった。
4月にシェアハウスがスタートするとともに増える平日イベント。グッズ展開。チェキ会システムの多様化と共に頻度や金額の変動。
難色を示したファンも多かった。離れていった友達も沢山いた。
でもファンの中でも「にーちゃんを迎えにく為には、中野サンプラザに彼らを連れていくには、私たちには応援し続けるしかない」という決意を持って応援しているファンも多かったように思う。
私は圧倒的後者だった。
ママさんのブログを読んで納得した。
商業化することが中野へのにーちゃん復帰への最低条件だったから。
Zeppが埋まらないことは薄々分かっていた。
ファンの中で「おしゃべり券」と揶揄されていた手売りチケット。私はこの表現が嫌いだった。でも、少なからず年内に完売出来たのは「おしゃべり券」だったから。接触がないと売れない、今のアイドル文化の最たるもののような気がする。
そんなZepp公演での発表
中野サンプラザ公演決定
わたしは手放しで喜べなかった。
今の彼らが中野に立っていいの?早すぎない?
上から目線かも知れない、でもまだ未熟だと思うことはたくさんあった。
「もし中野サンプラザに立った仕事を辞めてもらう」というぷんちゃんの言葉。
私の中で感じていた「中野サンプラザに立ったらむすめん。が完結してしまう」という現実。
むすめん。は最初から中野サンプラザを目指して活動してきた。それが叶ってしまったら…?
そんな情緒不安定な半年間。
2015夏ツアーは完売しない会場も勿論あった。
でも確実にファンを増やしていった。
むすめん。全国ツアー2015夏 ファイナルSP 〜Dream of 2222〜【結】
埋めちゃったんですよ2222。
ここで終わるのかと思わせておいてまさかのアイドル仕事にします宣言。【起】
FCできるわ、47都道府県ツアー決まるわ
混乱するよね!!!!!!←
混乱したよ!!!!!!!!!!!!
でも続くよね新生むすめん。
ついていくよわたし!←調教済のちょろいオタク
第2章
冬ツアー座間ピロ【承】
にーちゃんおかえり。
グッズも増えたねアイドルだもん。
念願のホールツアーだね白服さん。
ぜっちゃんのツアー離脱【転】
これを私はプラスに捉えていて(ぜ。推しの皆さん本当にごめんなさい)
ぜっちゃん抜きの9人で46道府県回ることによって次は10人で来るっていう『理由』が出来るじゃないですか。
むすめん。が続いていく原動力になるじゃないですか。
もちろんフルメンバーじゃないのは悲しい。
でもメンバーがぜっちゃんをツアーで感じさせてくれる1230や友という曲。
ぜっちゃんの居場所はむすめん。にある。これは揺るがない事実。
私は10人のむすめん。をこれからも見ていたい。
これからも素敵な物語を見せてくれるむすめん。ちゃんに期待あげ。
…またつまらぬ記事を書いてしまった。